変人達の考え事

変人(複数)が各々考えたことを書いています。

過去に引きずられずに生きることはできるのか。

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 気づくと二度寝をしていた。一回目起きたときは6時だっだのに、もう一度起きると11時を過ぎていた。少し眠りすぎて気持ち悪い。その位にはよく寝た。昨日は色々あってパソコンに残っていた、数年前の様々なデータを掘り起こしていて、寝るのが遅くなってしまったからだろうか。とにかく、こんなことから今日も少し考えてみる。

少なくとも身体は過去を映し出す。

 どれだけの時間眠るであるとか、昼間動いていて眠くなる、といったことは、当然前日どれだけ疲れたか、どれだけ眠ったか、による。やっていることが詰まらなくて欠伸が出るとかは別にして、だ。この点で身体は正直で、嘘をつくのは難しい。すぐに欠伸が出たり、集中を欠いたりしてしまう。ただ、こんなことは眠れば全部解決だ。

 一方で去年のことなど、もっと前のことを引きずるのだろうか。そりゃあ一度死んでしまえばもう生き返ることはできないから、今存在することができなくなってしまう。もう少し小さい例を考えてみると、蜂に刺されるなどして、もう一度刺されるとアナフィラキシーショックが生じる可能性を持つ、一度おたふくかぜになって、抗体を持つようになる。これらは過去を引きずっているといえるだろう。このように、たった一度の過去の経験が現在にまで、わかりやすい大きな影響を与えるということは十分以上にあり得る。

 もちろん全部が全部という訳ではない。もっと違った影響の出方もある。

 一年前の今日一歩も家から出なかった、という単体の行動が現在の我々の身体に及ぼす影響は知覚できるものではない。しかし、これが積み重なっていくとどうだろう。それは身体に影響として出るだろう。肌が真っ白になるとか。ただ、これは陽の光を浴びればそんなことはなくなるし、ずっと引きずるものでもないのかもしれない。筋トレをして筋肉がついても、やめてしまえば筋肉が落ちてしまうのも似ているのかもしれない。

 このような意味で我々の身体は、直近の過去も、もっと前の過去も少なからずひきずっている。ただ、逃れられない、大きな過去がある一方で、自らの行動によって消える過去もあるのかもしれない。

 

 では過去の出来事が直接引き起こす現象ではなく、自らの記憶が引き起こす現象はあるのだろうか。これについて考えてみる。

ヒトは過去の記憶を引きずるか。

 過去の記憶は、それ以降の自分の行動を変化させる、そのように私は考える。

 例えば、何か本や映画を見て、その登場人物の真似をしてみる、ということはあるだろう。それは無意識下かもしれないが、本や映画の記憶が我々の行動を変えているだろう。例えあとからそれが恥ずかしかったと気づき、真似をやめても行動の端々にそのようなものが現れるというのはあり得るように思う。むしろ、本や映画に限らず、憧れていた人の真似をする、嫌いな人がやっていたことをしないようにする、など過去の記憶の積み重なりが我々の今を作り上げている。そんな気がする。

 ここでふと思ったのだが、記憶が残っているかどうかはさほど大きな違いを生まないのではないだろうか。勿論意識して行動を変えているときは記憶がなければできないから別である。ただこの意識もいつかは無意識に変化するだろう、ということで話を進めてみる。

 過去に自分が行動をしたことによって何かが残るはずである。それは書いた文章かもしれないし、そのときに仲が良かったり会ったりした誰かに残る印象かもしれない。それはふとしたときに現れる。可能性は零ではない。それらと再び遭遇したときに、消えていたかのように思われていた記憶が突如甦るかもしれない。鮮明にではなくとも、それによって恥ずかしいことをしたものだとか思い返すかもしれない。あるいはそれは消した筈の過去なんだ、と言い聞かせることかもしれない。それらは次の自らの行動に影響を及ぼすだろう。そういう意味では全ての過去はそれ以降の行動に影響を及ぼし得る、そのように考える。

 

まとめのような何か。

 とりあえず、これを書いてみて過去を全く引きずらずに生きるのは多分無理だと思った。過去を消そうと思っていること自体が過去を盛大に引きずっているのだから。

 ただ、今日かいたことは論理がはちゃめちゃで、正直自分でも気持ちが悪い。因果関係も漏れがありそうだし、記憶と行為をかなり混ぜている感じもする。突っ込みどころも満載だろう。いつか書き直すかもしれない。それもまた今の行動がこれからに影響を与えている一つの例なのかもしれない。もうよくわからないが。