変人達の考え事

変人(複数)が各々考えたことを書いています。

審判とビデオ判定

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VAR

 サッカー日本代表は、ロシアワールドカップグループリーグ第2戦でセネガルに2-2で引き分けて、勝ち点は4に。私も生で見ていたが、前回のコロンビア戦以上に興奮した。コロンビア戦は、いくら相手が強豪とはいえ10人だったこともあって、運が良かった、と思っていた人も多かったと思う。私もそう思っていた。まぁ、たとえ相手が11人でも、2014年の時のように1-4のような大敗はしなかっただろうけど。とにかく、そんなもやもやした思いが日本サポーターの中にもあっただろうし、だからこそ第2戦でやはり圧倒的に格上のセネガルに2度も追いついて引き分けた、というのは喜びも大きい。3点目のチャンスも何度もあっただけに、勝ち点3を手にできなかったのは悔やまれるかもしれないが、次勝てばいいだけの話だから、ぜひ日本代表には最後までがんばってほしい。

 今回のワールドカップでは、VAR(ビデオアシスタントレフリー)が導入された。これは、ゴール判定やPk判定など試合を決定づけるプレーの際に、主審が映像で確認できるという制度だ。ピッチ上には4人の審判がいるが、審判の死角に入ったプレーや、審判の判断に誤りがあった時に、スタジアム外のモニタールームで映像を見ている審判が主審に伝達をする。以前、ワールドカップのアジア最終予選で、日本のシュートがゴールラインを割っていたにもかかわらず、ゴール判定にならなかったことがあったが、このVARがあれば、ちゃんとゴールと認められていたはずだ。

スポーツとビデオ判定

 ビデオ判定で思い浮かぶのが「チャレンジ」。たとえばテニスでは、選手1人に1セット当たり3回チャレンジ権が与えられ、審判やラインズマンの判定に不服があるときに行使できる。チャレンジ権が行使されると、ビデオ判定(CG映像)で確認される。審判の判定が正しかった場合、選手のチャレンジ権が1回減り、選手の主張が正しかった場合、チャレンジ権は減らない。テニスだと、ボールがラインの上だったかラインの外だったか、バレーでは選手がネットに触れていたかどうか、など主張する内容は様々だが、ビデオ映像のおかげでプレーが正当にジャッジされ、より公正な試合になるといえるだろう。

大相撲のビデオ判定

 日本の国技、大相撲にもビデオ判定がある。しかも、こちらは歴史が長い。私は相撲が好きなので、このことについては少し詳しい。大相撲は、土俵上の取組を行司が基本的に裁く。しかし、たとえば土俵際で力士が逆転技を打って両者がもつれたり、力士が禁止事項である相手の髷をつかむ行為をしていたのではないかという時に、土俵下に座る4人の審判(審判部所属の親方)が挙手して「物言い」をする。物言いが出ると、4人の審判と行司が協議をする。この時、正面に座る審判長はビデオ室で取組を確認する親方と無線で連絡をとる。ビデオ映像や審判の証言をもとに、最後に審判長が協議の結果の内容について説明する。協議の結果は主に3つに分かれる。1つ目は、行司の判定通り。2つ目は、行司差し違え、つまり行司の判定と逆の結果。3つ目は取り直し。サッカーのVARにも似ているが、審判長が自分の目で映像を確認しないところが違う点だ。

きっかけ

 大相撲にビデオ判定が導入されるきっかけは、昭和34年春場所2日目横綱大鵬-前頭2枚目戸田の取組。戸田に押し込まれた大鵬は、土俵際回り込む。この大鵬について行った戸田の足が土俵の外に出てしまった。これをしっかり見ていた行司はそのあと戸田が大鵬を押し出すも、軍配を大鵬に上げた。。これに、土俵下の審判の1人が物言いをつけた。協議の結果、戸田の足が出たときに、大鵬の体がなくなっていた(注)と判断し、戸田に軍配が上がった。しかし、後で映像を確認すると戸田の足が出たときに大鵬はしっかり残っており、大鵬の勝利は明白だった。これに、テレビで相撲を見ていた視聴者などから、相撲協会へのクレームが殺到。しかも、この黒星により大鵬は連勝記録が44でストップしてしまったのだ。このことがきっかけで、大相撲にビデオ判定が導入された。

(注)大相撲では、たとえ体が土俵についていなくて、土俵を割っていなくても、体が吹っ飛んで宙に浮いていたり、体が前のめりになって倒れそうになるなど、逆転不可能な状態になった時に、これを「体(たい)がなくなっている」と表現し、負けと判定する。

相撲の「流れ」

 過去の反省から導入されたビデオ判定だが、ビデオがすべてではない。たとえば、力士Aが立ち合いから押し込むも、土俵際で相手の力士Bが逆転の投げを打ち、行司の軍配に物言いがつくとする。この時、たとえ映像で見る限りAの体がBよりも先に地面についていたとしても、必ずしもBの勝ちとなるわけでもないのだ。その理由が、相撲の「流れ」だ。確かに土俵際でもつれたかもしれないが、立ち合いからAが攻め込んでいるわけなので、Aに分があるともいえるのだ。大相撲では、この見方が考慮されるケースが多い。つまり、厳格に映像による判定に頼るだけでなく、審判が自らの目で見た相撲の流れ、状況(主観的かもしれないが)も協議の対象になるのだ。このことについては、様々な意見があるだろうが、私はこういう考えもあっていいと思う。審判の存在意義にもかかわる問題だ。

審判とは

 当然のことだが、審判は人間だ。人間によるスポーツを、人間がジャッジする。人間なので間違えることもある。「誤審」だ。ただ、人間だもの、で許される世界ではない。特に選手は真剣にやっているわけで、スポーツでご飯を食べているわけだから、いい加減な裁量は困るだろう。そこで、ビデオ判定などが活躍する。テクノロジーを使った審判は、この程度でいいと思う。前述の横綱大鵬は、敗れた後こう語った。「ああいう相撲をとった自分が悪いんです。」人間の目で見た勝ちを、人間はほしいのだ。